日々のニュースによって、私たちは平和な世界が未だ実現していないことを実感させられます。
連日、ロシアとウクライナの戦争のニュースを耳にします。悲惨な街並み、痛々しい砲撃の後、人々の叫びと涙、怯える瞳をわたしたちは画面を通して目にしています。中国は台湾付近にミサイルを投下しました。国内の基地には軍備が配備されていきます。わたしたちの税金は、教育や福祉のためではなく、兵器を買うために使われています。沖縄の返還から今年で50年。しかし、実際は米軍基地が置かれ、軍用ヘリの脅威に人々は脅かされ、美しい海は壊されています。海を隔てていることをいいことに、「本州」に住む私たちは、犠牲を見ないふりをして過ごしてしまいます。
わたしたちが今、立つのは、このような世界です。人々の悲鳴、地球の悲鳴が止まない世界です。 「平和」がまだなのは、ウクライナだけじゃない。日本も含めた世界中の出来事だと思います。
これらを踏まえて、今日の礼拝では、世界中からの声を集めた式文を選びました。痛みの中、罪と向き合う中で紡がれた言葉を聞きつつ、共に祈りのときを過ごしたいと願います。 (牧師)
【この式文について】
この式文は、『世界の礼拝−シンフォニア・エキュメニカ式文集』(神田健次監修/2004年/日本キリスト教団出版局)のp.123〜134に収録されています。世界教会協議会の徹夜祭(真夜中の礼拝)のために作成されたものです。一部、三木教会の平和聖日のため、また2022年8月という時代にあることを覚えてわずかばかりに変更を加えています。(変更箇所はゴシック体にしています。)
(以下引用)「世界教会協議会の第六回総会(1983年・バンクーバー)は、核兵器開発戦争と南北間で広がる一方の格差によって平和が脅かされることに、特に焦点を当てたものになりました。これには、「平和と正義に関する宣言」も一翼を担っています。この礼拝は、1983年8月5日に行われた、平和と正義を求める徹夜祭から取られています。」(式文集p.123)
✞ 前奏 「地とそこに満ちる」(『讃美歌21』122番)うた:関西学院聖歌隊
1 すべては主のもの。大海の上に主は 地の基をおき,世界を築かれ いのちを与えたもう。
2 主の山に登り 聖所に立つ人は,清いこころの人。行い正しく,空しいことには望みを置かぬ人。
3 救いの み神は み顔をたずねて 求める人々に 祝福を与え, み恵みを たまい 共に歩ませたもう。
4 あがれよ,今こそ とこしえの扉。栄光に輝ける 王なる主は来たもう。その方はどなた, われらの救い主
✞ はじめに
司式者 今日、ここに集まった姉妹・兄弟の皆さん、
わたしたちは皆さんに平和のあいさつを送ります。
ここに集ったのは、個々人や民としてのいのち、
造られたものすべてのいのちを尊び、まもり、高めることに
わたしたち自身関わりたいと願っているからです。
原子爆弾から出る、死をもたらす光は、1945年に初めて、
人間の住む地の上に昇りました。
広島と長崎の何十万という人々のいのちを滅ぼし、傷つけたのです。
それからも、戦争が止むことはありませんでした。
何百万もの人が、銃弾によって、飢えによって、あるいは抑圧によって死にました。
2022年の今、ウクライナの地では、ロシアとの戦争によって
街は蹂躙され、人々のいのちが奪われています。
さらには、ロシアは原子炉やあの恐ろしい原子爆弾を盾にして脅しています。
今も何百万の人が、平和と食べ物、正義と人間の尊厳、自由を求めています。
平和聖日の今日、わたしたちは祈りを共にし、
死の力のゆえに犠牲となった人々を覚えましょう。
わたしたちの共同体や国もまた、そのような力の一部となっていることを覚えましょう。
新しい世界を求める、わたしたちの共通の願いを言い表しましょう。
そして、新しい世界を築くために、わたしたち自身を捧げましょう。
男も女も子どもも、どの国から来たものであろうと、どんな信仰を持っていようと、
この希望は共通のものです。
わたしたちは共に生きる一つの家族、一つの世界なのです。
✞ さんびか 「地上に平和を」(「Thuma Mina つかわしてください−世界のさんび」22番)
うた:関西学院聖歌隊
地上に 平和をください 平和を あなたから。
Dona Nobis Pacem in Terra. Dona Nobis Pacem Domine.
✞ 聖書朗読 マタイによる福音書5章14〜16節
あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。
✞ 人々の声 (世界の地域の代表者によって紡がれた言葉を聞きましょう。)
太平洋 わたしたちの地域は、核兵器の実験場となりました。いのちを育む偉大な海、太平洋は、死の大洋となりました。一度ならず、破壊の雲が高くそびえるのを見、いのちは無意味なものとされました。水は汚染され、大地もよごされました。子どもたちは「障がい」を持って生まれてきます。力あるものの安全のために犠牲にされたわたしたちのいのちは、いのちを求めて抗議の声をあげます。わたしたちのいのちのため、あなたたちのいのちのためにです。わたしたちの惑星の未来のいのちのために、抗議の声をあげます。この地球は、私たちに与えられた、傷つきやすく、しかも美しさと驚きに満ちた、生きるための空間なのです。
アジア アジアの現実は、人々の姿、人々の苦しみの姿です。人々は苦しんでいます。苦しめられています。耕しても、子どもたちは飢えています。国内の力によっても外国の勢力によっても、つまり国の中の権力ある者によっても、世界の権力ある者によっても、抑圧されています。
アジアの現実は、また、目覚めつつある人々の姿でもあります。人々は、権利のために闘いを始めました。充実したいのちを求めています。その闘いと探求にこそ、強さがあります。アジアの現実は、人々の姿、闘う人々の姿です。
アジアの現実は、人々の霊性の深さです。それは、多様な宗教、哲学の伝統によって言い表されています。宗教や哲学は、人々に正義を訴え、わたしたちのうちに始まり、社会に広がってゆく平和を求めます。アジアにおける闘いでは、アジアの共同の生のあらゆる面において、霊性が反映しているのを見ることができます。ダルマを人々のいのちに実現することが、その闘いの目標なのです。(仏教徒による声)
ヨーロッパ わたしたちの歴史は、戦争と分裂の歴史、力に訴えた争いの歴史、地を支配した力の歴史です。わたしたちの歴史はまた、より充実したいのちを求めた人々が得てきた、人間の自由という可能性を開いた歴史でもあります。わたしたちの大陸は、今も、異なる政治体制、経済秩序によって分けられています。わたしたちは、分裂の向こうを見ることを恐れ、共通した財産と可能性を発見するのを恐れています。
わたしたちの多くは「ノー」と言う勇気を持てずにいます。死の力に対して、兵器の大量製造に対して、自己中心的な安全の考え方に対して、「ノー」と言えずにいます。わたしたちの多くは、貧しい人々の犠牲の上に暮らし、国内外の人々が苦しんでいることを忘れて生活しています。
わたしたちは豊かな伝統の中から、聖なる人々や殉教者たちに学ばなければなりません。いのちは分けることができず、すべての人に属するのです。わたしたちが生き続けることができるのは、すべての人と共に生きるとき、すべての造られたものと共に生きるときだけなのです。
中 東 何世紀にもわたって、十字軍が、姿を変えて、わたしたちの地を襲ってきました。今もわたしたちは、考えられるよりも古く、解決できないほど深刻な、闘いと分裂という重荷を担っています。わたしたちは、正義と平和を訴える宗教の名において、まさに戦争を行ってきました。わたしたちは自分の今の在り方を守るために、しばしばお互いを攻撃し、滅ぼし合ってきました。
わたしたち自身を守る、新しい形の安全はどうすれば造ることができるのでしょうか。正義と、わたしたちの地に住む人々の幸福と権利に基づいた安全は、どのようにすれば発展するのでしょうか。
ラテンアメリカ わたしたちの大陸に住む貧しい人々は、神に向かって叫んでいます。疎外された人々は、沈黙しながらも、こころのうちで叫んでいます。何千人もの農民が、権力ある者の貪欲のために、住んでいる地を追われています。ほんのわずかの土地所有者だけが、ますます土地を手に入れているからです。わたしたちの固有の文化は壊され、損なわれました。多くの国で、人々の幸福よりも、国家の安全を保証する方が重要なことと考えられています。人権と尊厳のために戦う人々は、暴力によって鎮圧されています。
わたしたちの預言者に対して、彼らは何をしたのか。
平和と正義を告げる、わたしたちの使者に対して、彼らは何をしたのか。
彼らはどこにいるのか。
北アメリカ わたしたちは、自由という財産を誇りに思ってきました。
しかし、自由が世界に輸出されたとき、人々を奴隷にもできることを知っています。
わたしたちは、発展した技術を誇りに思ってきました。
しかし、その技術は、しばしば、殺戮兵器を作り出すゆがんだ競争に浪費されていることを知っています。
わたしたちは、発展した産業を誇りに思ってきました。
しかし、わたしたちは、この地の限られた資源をあまりにも使いすぎたことを告白します。
わたしたちの豊かさは、他の人を貧しくすることによって、地の実りを分かち合うのを拒むことによって得たものです。
しかしそのことは、わたしたち自身を貧しくし、この世界の出来事にわたしたちを結びつけ、お互いに対する恐怖を呼び起こす政策を信頼するようにしてしまいました。
わたしたちは、他の人の見方を通して、世界を見ることを学ばなければなりません。
わたしたちは、世界のいのちのために、声をあげなければなりません。
カナダの先住民 百年以上も昔、わたしたちの民の偉大な首長が白人に言いました、
「地のどの場所も、あなたの民にとって聖なる地となるように」。
今日、わたしたちは、世界中のあらゆる国々の皆さんにお願いします。
「地のどの場所も、あなたの民にとって聖なる地となるように」。
わたしたちも、わたしたちの子どもたちも、そのまた子どもたちも、
造られたすべてのものと一緒に、豊かないのちを、共に生きることができますように。
✞ さんびか 「地に平和を」(“Let There
Be Peace on Earth” Sy Miller and Jill Jackson. 1987.)
うた:関西学院聖歌隊(2014年)
地に平和を、平和をください。
わたしをもちい、いかしてください。
神は我らを造られた。
今、立ち上がれ、平和求め。共に歩もう。手を取り合って。
君の歩みのすべての瞬間を、この世の永遠の平和につなげよう。
地に平和を、平和をください。
✞ 告白の祈り (交読で祈ります。お座りのまま太字のところをお読みください。)
司式者 しばらく沈黙の内に、わたしたちが不正と対立をもたらす
しくみの一部であることを認めましょう。
私達自身の生活においても、わたしたちの家族や共同体も、わたしたちの国家も、
その一部なのです。
分裂と抑圧をもたらすさまざまな力に巻き込まれているのです。
<沈黙>
司式者 主よ、長年にわたる苦しみに、何千年にもわたる十字軍と虐殺に、
わたしたちのこころは耐えられなくなっています。
犠牲者は、今も血を流し続けています。
あなたに向かって、わたしたちは手を開いて差し伸べます。
会 衆 乾ききった地で、あなたを乾き望みます。
司式者 主よ、父のようにわたしたちを愛し、母のようにわたしたちを愛し、
兄弟のようにわたしたちと同じ生き方をされた方。
あなたの前に告白します。
わたしたちは、あなたの子どもとして、兄弟姉妹として、
愛に結ばれた者同士として、生きることができていません。
あなたに向かって、わたしたちは手を開いて差し伸べます。
会 衆 乾ききった地で、あなたを乾き望みます。
司式者 主よ、わたしたちがいのちを拒みながら、いのちを追い求めているのを
ゆるしてください。
あなたの子どもであるとはどういうことかを、新たに理解することができますように。
あなたに向かって、わたしたちは手を開いて差し伸べます。
会 衆 乾ききった地で、あなたを乾き望みます。
✞ 平和と正義の宣言
司式者 わたしたちは信じます。
神は愛であり、この地をすべての人に与えられることを。
イエス・キリストはわたしたちを癒やし、あらゆる形の抑圧から
わたしたちを解放するために来られたことを。
聖霊は真理を求める人々のうちに、その人々を通して働かれることを。
わたしたちは信じます。
会 衆 わたしたちは信じます。
司式者 わたしたちは信じます。
信仰の共同体はあらゆる人々に仕えるために召し出されたことを。
神はわたしたちの罪の力を最終的に打ち破り、人類すべてのために、
正義と平和の国を、うち立ててくださることを。
わたしたちは信じます。
会 衆 わたしたちは信じます。
司式者 わたしは、もっとも強い者の正義や武器の持つ影響力、抑圧の力を信じません。
会 衆 わたしは、人権やすべての人の連帯、非暴力の力強さを信じます。
司式者 わたしは、戦争と飢えは避けられず、平和は実現できないということを信じません。
会 衆 わたしは、簡素さの持つ美しさや開かれた手の愛、地上の平和を信じます。
司式者 わたしは信じません。
苦しみが無駄であることを、死が究極のものであることを、
世界が損なわれているのが神のみ旨であることを、わたしは信じません。
会 衆 わたしは変わらず、世の現実にも関わらず、信じます。
神の力は変革し、美しくすることができることを信じます。
司式者 神が、天と地を新たにするという約束を実現することを、信じます。
会 衆 そこでは正義と平和が栄えることを、信じます。
✞ とりなしの祈り
司式者 主よ、あなたは正義と平和の神。
貧しい者、しいたげられている人々の側に立たれます。
わたしたちは、声を上げて語ることができない人々にかわって、
その人々の声となるよう求められています。
不正と戦争のゆえに苦しむ、地上のすべての人々のためにあなたに呼びかけます。
会 衆 主よ、わたしたちの祈りを聞いてください。
司式者 わたしたちはあなたに訴えます。
正義と平和を求めて証言したために迫害され、投獄され、拷問され、
死の脅威にさらされている人々のために。
あえて声をあげたために「行方不明」になった人々のために。
彼らの肉体に加えられた苦痛が、その精神を損なうことがありませんように。
会 衆 主よ、わたしたちの祈りを聞いてください。
司式者 わたしたちは思い起こします。
緊張と戦争に引き裂かれた地、ことに中東、中央アメリカ、南アフリカ、
ロシアとウクライナ、そして世界中に住む人々を。
わたしたちは、世界中にいる何百万人という難民のために祈ります。
嘆きと悲しみのただ中にも、彼らが希望のしるしを見極めることのできますように。
会 衆 主よ、わたしたちの祈りを聞いてください。
司式者 主よ、あなたのみ手にこの地をゆだねます。
地は災害や争いによって脅かされています。
あなたのみ手にゆだねます。
わたしたちが今日聞き、語り、心の中で沈黙のうちに想い起こした人々や状況を。
平和と正義を求めるわたしたちの意志を強めてください。
国々の指導者を導き、律してください。
平和と正義を求めて闘うすべての人と運動を支え、守ってください。
「愛と真実が出会い、義と平和が抱き合う」あなたのみ国への信仰を増してください。
みこころが天で行われるとおり、地にも行われますように。
一 同 アーメン。
✞ 献金 (一週間の歩みに感謝しつつ、献金を献げましょう。)
すべての恵みの源である神さま、今、わたしたちが捧げるものを受け入れてください。
そして、御名があがめられ、御国の栄光があらわされますように。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
✞ 約束のしるし
司式者 わたしたちは、それぞれの置かれた場所から集められて、ここに集いました。
今の世界でも、不正と搾取、争いと闘いが続いていることを知っています。
わたしたちは、わたしたちを取り巻くいのちのただ中で、
平和と正義の弟子となるよう、召し出されています。
ですから、わたしたち自身が、平和と正義のために共に働くことを決意しましょう。
そのしるしとして、お互いに平和のあいさつを交わしましょう。
✞ 平和のあいさつ
司式者 皆さんに平和がありますように。
会 衆 平和がありますように。
✞ 祈り
司式者 アッシジのフランチェスコが祈った平和の祈りを共に祈りましょう。
一 同 神よ、あなたの平和のために、わたしのすべてを用いてください。
憎しみのあるところに、愛を。
争いのあるところに、ゆるしを。
分かれているところは、ひとつに。
疑いのあるところに、信仰を。
誤りのあるところに、真理を。
絶望のあるところに、希望を。
悲しみのあるところに、喜びを。
闇には光を、もたらすために。
神よ、わたしに望ませてください。
慰められるよりも、慰めることを。
理解されるよりも、理解することを。
愛されるよりも、愛することを。
自分を与えることで、与えられると信じます。
すすんでゆるすことで、ゆるされると信じます。
人のために死んでこそ、永遠に生きると信じます。アーメン。
✞ 祝福
司式者 あらゆる人智を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとを
神の愛と、御子キリスト・イエスによって守られるように。
父と子と聖霊の神の祝福が、わたしたちと共に、神の造られたすべてのものと共に、
今も、いつまでもありますように。
会 衆 アーメン。
✞ 後奏 「平和の祈り」(アシジの聖フランチェスコによる・曲:高田三郎)
うた:関西学院聖歌隊 歌詞:上記平和の祈りと同じ。