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光と定められたから

聖書:使徒言行録13:44〜52

 

今日は三木教会の創立記念礼拝ですね。三木教会がこの三木市という地域の中で伝道を始めて、今年で67年を迎えます。67年前、三木教会はラクーア伝道によって始まりました。ラクーア伝道は、宣教師のラクーアによって、戦後の混乱が残っている時代に希望を灯すべく、各地で音楽とメッセージが行われたものでした。そのラクーアの活動は、この三木にもやってきていました。

 三木教会ははじめ、商工会議所のある建物の中で行われていたとお聞きしました。中心に立ったのはメソジスト教会牧師のヒュー・ホワイト宣教師。牧会や宣教は同志社から来た船津先生。ヒュー・ホワイト宣教師の通訳は、関学の学生である吉岡さんが担っていたそうです。

 今の時代だと、「同志社系」だとか「関学系」「東神大系」なんて言って、いわば“学閥”のようなものが教会ごとにあったりします。それぞれの教会の歴史や伝統によって、神学校が紐付いていたりするわけです。今では三木教会は、関西学院出身の牧師を招聘しています。それは、ラクーア宣教師がメソジスト教会の牧師だったこととも関わりがあるのでしょう。

 しかし、三木教会の歴史を聞くと、同志社の人が関わっていたり、関学の人が関わっていたりして、そのような学校の違いを超えて宣教の働きを担ってきた歴史があります。さらには、最初の拠点は、商工会議所。商工会議所の講堂を借りて、毎週礼拝が守られていました。

 商工会議所は、私の理解では、会社の活動の支援や町おこし・地域おこしをする場所です。であれば、三木市の町を切り開いていく最前線だと言えるでしょう。そのような場所で、宣教の働きを始めていました。

 文化の違いを超えて、学校の違いを超えて、さらには社会を形作る最前線で、希望を灯す活動がなされていた。そこには垣根や隔てを超えた交わりや働きがあったのではないか。心が熱くなります。

 地域の只中にあって、救いを告げ知らせる福音を語る。それは聖書の中で、イエスが、それに続く弟子たちが為してきた業でもありました。

 パウロとバルナバは、ピシディアのアンティオキアという場所にいました。ピシディアのアンティオキアは、高原の中にぽつんとある町。他の町とは、そこそこ距離の離れたところにありました。ユダヤ人の町の中心は、ユダヤ教の会堂です。

 パウロとバルナバは、会堂で促され、語ります。イエスの復活の喜びを。その言葉を聞いた人たちは言いました。「次の安息日にも同じことを話して」ほしいと。同じことをまた聞きたい。それは、その言葉に、告知されたことに感動したからでしょう。さらには、その言葉を伝えたい人、連れてきたい人がいたのでしょう。翌週、またパウロとバルナバが会堂に来ると、「ほとんど町中の人が主の言葉を聞こうとして集まって来た」のでした。噂の「すごい話」を聞きたいとみな集まって来ていたのです。

 三木教会も、今では小さな群れではありますが、彼の日には何十人という大きな群れとなっていたことを、教勢報告や写真から知ることができました。

 パウロとバルナバの言葉を聞こうと集まった人たちもまた、そのときには街中の人たちだった言うのです。でも、町全体で信仰に入ったのかというと、そうではありません。「ユダヤ人はこの群衆を見てひどくねたみ、口汚くののしって、パウロの話すことに反対した」。パウロの話なんか聞くもんじゃないと否定したのでした。

 それに対し、パウロとバルナバは引き下がったでしょうか。口を閉ざしたでしょうか。いえ、むしろ、「勇敢に語った」と聖書は言います。他の訳では「堂々と語った」。引き下がるのでも口を閉ざすのでもなく、「堂々と語った」のです。

 では何をユダヤ人たちに語ったのでしょうか。それは①まず、救いはユダヤ人たちに語られるはずだった。でも、②それをユダヤ人たちは拒んだ。だから③わたしたちは、異邦人・ユダヤ人以外の人たちのもとへ行く、というものです。

 ではなぜ、異邦人、ユダヤ人以外の人たちのところへ行くのでしょうか。

 それは、パウロたちが「異邦人の光と定め」られたから。そして、「地の果てにまでも/救いをもたらすため」です。

 異邦人、当時はユダヤ人以外でしかありませんでしたが、今ではその解釈はもっと広く分類されるでしょう。異なる民族、異なる人種、異なる仕事、異なる出身、異なる生活、異なる生き方。そのような「異なる」すべての人へと繋がっていきます。このような「異なる」すべての人の「光」と定められたのです。

 「光と定められた」。光は、暗闇を照らし、道を照らし、人々を導くものです。パウロたちは、異邦人たちを救いに導くものとして定められ、遣わされたのだと語るのです。この知らせを受けた異邦人たちは聞いて喜び、信仰に入る人も出てきました。パウロのもってきた光は、たしかにその地で、信仰をともしていきました。

 地の果てまで救いをもたらすためには、ユダヤ人だけに告げ知らせるのでは十分ではありません。ユダヤ人だけで独占するものではない。地の果てまで、地のすべての人へと救いをもたらすためには、異邦人含めたすべての人へ、神の業を告知せなければならないのです。

 こうしてユダヤ人以外の異邦人へと告知された神の救いと福音。それは、異邦人から異邦人へと伝わっていきました。

 パウロとバルナバの語った教えは、アンティオキアの地域全体に広まりました。異邦人たちは、パウロたちの言葉を「聞いて喜び、主の言葉を賛美した」、喜びをもって礼拝をささげました。そして、信仰に入るものもいたそうです。だからこそ、パウロたちを排除しようと、ユダヤ人たちは人々の気持ちを煽って、二人をその土地から追い出しました。福音を、神の救いを告げ知らせた人はその地を去ってしまった。しかし、それで終わりはしませんでした。

 さらに、「弟子たちは喜びと聖霊に満たされていた」。この言葉は、教会の設立がなされたことを意味します。アンティオキアの地で広まった言葉は信仰を灯し、その信仰に入り弟子となったものたちは、共同体を築いていったのです。

 日本のキリスト教もまた、異邦の地からやってきた宣教師によって語り伝えられてきました。三木教会も、アメリカという異なる地から来たホワイト宣教師によって、これまた異なる民である三木の町の人々へと伝わりました。そうして告げ知らされ、主の教会の一つである三木教会の設立になったわけです。

 ホワイト宣教師と船津先生からはじまり、今は天に召された多くの信仰の友が三木教会の歩みを支えてきました。キリストを証しする「光」として歩まれたわけです。こうして灯され、灯してきた信仰の炎は、今も三木教会に、三木教会の教会員ひとりひとりのうちに灯っています。

 神に招かれ、教会へと導かれ、救いを聞き、イエス・キリストと出会った私たちが、今度はその「光」となる番です。「信仰」という灯火の光を、わたしたちの周囲の異なる人へと伝えることこそ、「宣教の業」「伝道の歩み」と言われるものだと思います。

 人と出会い、人と関わり、人に仕え、愛の証人として生きていきましょう。そして、先を歩まれた方々の信仰を受け継ぎ、主の導きに信頼しつつ、三木教会の歩みに私たちが喜びをもって参加できるよう願い祈りましょう。

 

 初めから終わりまでをご存知のわたしたちの神さま

 パウロたちは迫害を受けながらも、あなたの福音を告げ知らせ、異邦人たちの光となりました。私たちも、パウロのように異なる人の光となることができますように。

 この三木の地で大切に育まれてきた信仰を覚えます。どうかわたしたちのうちに静かに燃える信仰の灯火を、あなたが豊かに用いてくださいますように。

 しかし、ときに周囲からの風あたりが強くなり、信仰が揺らぎ、口を閉ざしてしまうことがあります。そのようなときがきても、どうか勇敢に、大胆に語るものとしてください。

 信仰にまだ入られていない方も、あなたの救いを受け入れ、信仰灯る日がきますように。

 「異なる」ことを超え、隔てや垣根を超えて働く主の聖霊を、私たちが受け止めることができますように。アーメン。