年月が過ぎて、いくつかの衝突や痛みを経験して、少し大人になったり、クリスチャンになったりしました。そうして気がつくと、周囲から「怒らなさそうな優しい人」として見てもらえる自分がいました。ずっとなりたかった「穏やかな人」になれた!それは本当に?周りが自分の意見や正義と違っていても、「そういう考え方もあるよね」と受け止める。それは同時に、「こうあってほしい」や「こうしたい」といった希望や願いが希薄になることでもありました。「あなたはあなた」「わたしはわたし」それは、いつしか、無関心を育てていってしまっていました。結局、穏やかな人であることは、無関心で、他人事でいることを良しとする姿だったのです。